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地震について

新潟県中越地震報告

新潟県魚沼市(旧広神村) Sさんより


2004年10月23日17時56分頃、新潟県中越地方でマグニチュード6.8の地震が発生しました。新潟県の川口町の最大震度7をはじめ、周囲の市町村で震度6強・弱が観測されました。阪神大震災から10年が経った今でも、日本のみならず世界各地で発生している「地震」は、まだまだ予期できぬ天災というのが現実です。
本地震発生時に震度6弱が観測された旧広神村(現在・魚沼市)に2003年11月完成・入居されましたSさんより、地震発生後ご連絡があり、気密再試験を行いました。またSさんには、地震発生時の状況や、豪雪の様子を教えていただきました。


写真は2004年2月に撮影されたもの。今冬(2004〜2005年にかけての冬)は2階窓の下部まで雪が積もった。

 

豪雪地帯にあるため1階は車庫と物置のあるRC造。2、3階が木造軸組のPAC住宅。

地震直後とその後の様子

地震の当日は私一人の在宅で、冬に備えてのストーブ用の収納小屋作りをしていました。18時直前になり、夕食の準備のため作業を終え、玄関の階段を1段昇ろうとした瞬間でした。地面から突き上げるような大きな縦揺れを感じるとともに、家全体がギシギシと音をたてて揺れだしました。縦揺れだったため近い所が震源だと直感し、家に入るのを止め、建物の高さをクリアする距離に離れて様子を見ることにしました。その点、火も使用しておらず家族も不在だったため身軽でした。3〜4分間隔で余震が4回続いた後、しばらく余震がないので家の中の様子を確かめるため家の中に入りました。いつでも脱出できるように玄関の戸は開放したままで・・。3階の私の机からはパソコンが床に落ち、書類が散乱している他は、天井からの落下物なし、倒れた家具なし、食器棚の前にどんぶりなど数点が落ちているだけでした。夜に備えて、携帯ラジオ、懐中電灯、携帯電話と防寒着を持って屋外に避難しました。その直後、大きな余震を感じました。身体のバランスを取るため相撲で言う「しこを踏む」体勢が必要でした。自分の体感ではこの時の余震が一番大きかったと思います(18時34分頃余震の震源地は我が家の西約4.0mmの地点で最大震度6強)。
余震は続いていましたが、家の安全を確かめたので、近所にいる一人住まいの老人や女性だけの家庭の安否確認に集落内をまわりました。青年男子がいるグループには声をかけ安否を確認して、次の家に移動。一人住まいの老人には玄関に行き「元気ですか?怪我はないですか?」と声をかけ安否を確認し、ラジオの情報を伝えたりしました。中には破損したガラスで足に怪我をした子どももいましたが、大怪我をした人がいなくて安心しました。
自宅近くの女性ばかりの家の前で、ラジオの情報を聞きながら、取材ヘリコプターが飛んでいる様子を見たりして過ごしましたが、段々と冷え込んできたので家から毛布、座布団、防寒着などを持ち出すようにお願いし、車の中で暖をとるなど、互いに協力しながら余震の早期おさまりと、震源地近くの被害の少ないことを祈っていました(当日の深夜12時までの有感地震は164回)。幸い当夜は月の光が明るく屋外に避難でき、かつ雨具が不要で助かりました。

我が家は本震の震源地の東9.0mmの地点にあり、近くの震度計では10月27日に6弱を記録していますが、当集落では家屋の倒壊等の大被害はありませんでした。しかし瓦屋根の破損、柱のずれ、壁紙の破損、天井の蛍光灯の落下、食器棚やタンスの倒れた家が多くありました。

地震によって生じた窓枠際のクラック。

   

自宅の破損品は、どんぶり2個、ワイングラス2個と花瓶1個の5個だけで、落下・転倒の家具類は皆無という最小限の被害ですみました。珪藻土壁の窓枠隅にヘアクラックが52箇所生じましたが、構造物でないとの理由で、件数が多くても被災点数に及ばずとのことで、地震保険の対象外との判定でした。ヘアクラックは数多くの余震(年末までの900回近い有感地震、うち震度3以上が160回)と、傷口からの空気侵入による乾燥が原因と考えられますが、徐々に傷口が広がってきたようです。しかし地震復興に職人さんたちが大多忙であることと、生活には全く影響がないことから、春先になってから修復方法を含め検討することにしています。

 

地震後の気密再試験の結果
(2004年11月13日実施)

      竣工時 地震後
室内(開)  2.75   3.77
室内(閉)  2.26   3.11
外被      2.58   3.50

 

室内(開)‥室内自然換気口を開けた状態で測定した室内の気密。室内(閉)‥室内自然換気口を閉めた状態で測定した室内の気密。外被‥断熱材の内側全体の気密。

○各気密とも1cm2/2の隙間が増えた。地震による大きな影響がなかったことを確認。

実施して良かった点

地盤改良と耐震構造

被害が最小限に済んだ最大要因は、断層が近くになかったことでしょうが、自宅の改築に際し地盤調査を行い、昔井戸を掘った付近が弱いことが分かり、改築面積全体を地盤改良し、地盤の強度を増し均一化したこと、耐震設計に基づいた構造とPAC工法を採用したことが有効だったと思います。地震後、外見からは判らない壁内の構造変化を点検するため、PACの気密試験をお願いし、地震の影響を受けていないことを確認しました。

太陽光発電設備

地球温暖化防止の一助と老後の生活経費低減に設置した太陽光発電設備が、地震直後に発生した停電に大変役立ちました。夜間は当然使えませんが翌朝から電源を太陽光エネルギーに切り替え、テレビ、冷蔵庫が使えました。ラジオに比較して格段に多くの情報を得ることができるテレビは有効でした。冷蔵庫も庫内の食品を無駄にせず済んでよかったです。電源が必要なFAX等の機能付きの電話機も、使用できました。

困ったこと

電話がなかなか通じなかったことが困りました。前述のように多機能電話は停電で夜は使用不可。携帯電話も地震直後は通じましたが、電話の集中による通話制限がかかったり、中継所の電波が徐々に弱くなり、自動車で近くに移動しましたが、これも段々と通じなくなりました。勤務先への無事であることの連絡も、電話ではできず、横浜にいる娘経由で勤務先の電話番号と安全報告をメールし、伝言を頼みました。携帯電話も万全ではなく、中継所の電源設備、中継ケーブル等の地震対策が必要なことを痛感しました。

豪雪の状況

昨年(2004年)の秋には、暖冬との予報が出たり、実際12月21日までは、暖かな日が続いていたので、正月は雪なしで迎えられるかも・・と話をしていましたが、22日には一転午後から降り出した初雪は消えずに根雪となってしまいました。(通常初雪は消え、再び降っては消え、3回目に根雪となるのですが。)
特に1月7日から13日までの1週間は休みなく毎日20〜70mm降り続き、積雪は200mmを超えました。さらに、1月30日から寒明け後の6日まで連日降り続き一時350mmを超えてしまい19年ぶりの大豪雪となり、地震で被災した家屋で雪害のために倒壊した家も多く出ました。
自宅は高床式で、屋根は太陽光セルを付けた急傾斜屋根の自然落下方式、付属棟はボイラーで暖めた不凍液を屋根材の下を通して融雪しています。周囲の家では、今年のような休みなしの降雪では、隔日に屋根に上って雪下ろし、翌日は下ろした雪を軒下から離す作業(部屋の明かり確保と建物の保護のため)が必要であり、連日の除雪作業で皆さん疲労こんぱいしています。
雪国の人たちは、一日も早く春が来ることを待ち望んでいます。

雪ロータリー車。ブルドーザーで道路脇に集められた路面の雪を道路の外に飛ばす。道路の壁が高くなり作業も大変。

 

ご自宅玄関前の積雪。
約350cm。
写真:Sさんより提供