間取りと設計
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日本の間取りを悪くした中廊下 その2. ふれあいから考える

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日本の間取りを悪くした中廊下  その2 ふれあいから考える
 

前回は、中廊下の問題点を、風通しや日当たり、木の家という観点からみましたが、今回は、家族のふれあい、心の交流の面から考えてみます。
ひとつ屋根の下に住む、そこに期待されるのは、人間同士のふれあい、そこからの学びなど、家族間で自然に醸し出される雰囲気です。
中廊下は、そのふれあいを分断してしまう危険性があります。

 

中廊下の役割を冷静に見ると、ホテルの通路と変わらない

LDK間取りにおける中廊下の役割は、動線と呼ばれる通路です。玄関から他の部屋を通らないで自分の部屋へ行ける、そのためのものです。
他人同士で宿泊する、プライバシー確保の重要なホテルでは、廊下なしの存在は成立しません。
しかし、身内で、家族で暮らす住宅において、ホテルと同じ役割をする中廊下は必要なものでしょうか。逆に、有害な要素の方が、はるかに多いのではないでしょうか。
少し具体的に、その問題点を考えてみましょう。

 

見えない、聞こえない

帰宅して玄関に入る、そこで目に入る光景は、玄関ホールに中廊下そしてドアなど通路部分です。
在宅の家族と何の応答もしないで、そのまま自分の部屋へ引きこもることも可能です。
もちろん仲のいい家族であれば、「お帰りなさい。」と玄関へ迎えてくれるのでしょうが、家事や勉強などに没頭していれば、家族の帰宅に気づかないことも多いのではないでしょうか。
家族の顔を見た瞬間に話したいと思っていたことも、タイミングを逸すると、心に引っ込めてしまい、そのまま忘れてしまうことも意外とあるものです。
家に帰ってきたら、家族の顔がすぐに目に入る、そんな単純なことが、家族のコミュニケーションの始まりです。
「ただいま。」と大きな声を出せばいいようなものですが、中廊下とドアの向こう側の、いるかいないか分らない家族に、声をいつも掛けられるとはかぎりません。
しかも、聞こえにくく気づいてもらえないこともあります。
あれっ、どこにいるのだろうかと家族を探し回った経験はどなたにもあるのではないでしょうか。
こんな狭い家なのに、どうして声が聞こえなかったのと、文句を言ったことも思い出しませんか。
帰宅した時に姿が見える、声が聞こえるということは、想像以上に重要なことではないでしょうか。

 

感じない

ひとつ空間に家族がいる、お互いにバラバラのことをしていて、話をするわけでもない。
そんな光景もよくあります。どうせそれぞれが違うことをしているのだから、別に見える所にいなくてもいいようなものですが、何故か、姿が見えているだけで落ち着くものですし、安心もします。
仮に、姿が見えない所にいてもお互いに存在を感じ合える空間であれば、同じように心は落ち着きを得ます。
家族の気配を感じる、いい雰囲気ということでしょう。
家族がそれぞれ個室に閉じこもってしまえば、見えない、聞こえないさらに感じない、になってしまいます。
せっかく個室をつくったのに、その部屋があまり使われないということは、こういった家族のさりげないふれあい願望からだと思われます。
それなのに現実の家づくりでは、相変わらず中廊下で分断されてしまうLDK間取り、本当に理解に苦しみます。

 

見える、聞こえる、感じる、それをベースに間取りをつくる

家族の顔が見える、声が聞こえる、雰囲気を感じる、そんな間取りが共に暮らすということに必要なのではないでしょうか。
家族のふれあいはさりげない自然なものです。恋人時代のデートのように、あるいは会社の会議のように、事前にアポイントがあって始まるわけではありません。
日常の生活の中で、何気なく偶発的に声を掛け合ったりするものです。
そのためには、共に暮らす空間が分断されずに広々としていた方がはるかに自然な会話やふれあい、感じあいが多くなるのではないでしょうか。
中廊下をなくした間取りの工夫が、その第一歩です。
私たちは、その空間を「広がり空間」と名付けました。

 

1人になりたい時は1人になれる空間をつくる

LDK間取りは、基本的には1人になる個室中心の考え方です。
それを補完するために家族が集うリビングがあるという考え方なのでしょうが、その考え方を逆転したほうが、日本の事情には合っていると思います。
日常、空間は広がり、家族の姿が見え、声が聞こえ、雰囲気を感じる。しかし、受験勉強や1人を愉しみたい時などは空間を閉じて1人にもなれる、そんな空間づくりが私たちには合っているのではないでしょうか。
次回は空間の融通性から、中廊下を考えてみます。

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