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思い 健康住宅 外断熱・外張り断熱のパッシブソーラー since1977

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1977年 外張り断熱・通気工法

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 流れる空気に触れさせる 日本で初めての外張り断熱・通気工法

since1977

PAC住宅の原点、エアサイクル住宅開発の基本思想が「流れる空気にふれさせる」です。

時は省エネルギー・省源資の真っ盛り。ちょうどグラスウール断熱材が北海道から本州へと普及活動を広げていた矢先のこと、地盤面からの湿気対策をほどこさないままの断熱施工(当時はソイルカバーをしていなかった)、断熱施工そのものの不完全さ等から、見えない結露・内部結露(壁の中などに発生する)の問題が台頭し始めた時でした。

そもそも壁内に断熱材を施工することは木材・構造材にとっては呼吸を止めて良くないことと、断熱材は柱の外側に張って、木材を流れる空気にふれさせようと開発をすすめていたのがエアサイクル住宅でした。

今で言う外張り断熱住宅の第一号ということになります。もちろん当時は外張り断熱もしくは外断熱という言葉もありませんでした。

大きな話題(2年間でマスコミに1000回程度とりあげられる)を生むと同時に、主流であったグラスウール関係者にとっては、いやな存在でもありました。

当時のエアサイクル住宅は単なる外張り断熱ということではなく、断熱材の外側に約20oの通気層をつくっていました。通気工法のさきがけでもありました。

夏は床下と小屋換気口を開放して躯体内空間に外気を流し、夜間の外冷気を基礎のコンクリート部分などへ蓄熱し、翌日の昼間の温度上昇をおさえるパッシブクーリングシステムです。

冬は空気循環(エアサイクル)、まさに躯体内空間へくまなく空気が回ります。 
英語で空気循環はエアサーキュレーションなのですが、エアサーキュレーション住宅では言いにくいと、開発者の田中慶明が「エアサイクル住宅」と命名しました。

躯体内空間には住宅の骨部分、構造材のすべてがおさめられています。
ここへ1年中空気を流すことで、木造住宅の寿命をながらえることができます。エアサイクル住宅は長寿命、そして冬暖かく夏涼しい、省資源・省エネルギーを実現しました。

しかしながら当時はエアサイクル住宅の20oの通気層について、20oの空隙に空気が本当に流れるのか、住宅業界を翻弄するな、などと冷やかに言われた時代でもありました。
 
外断熱・外張り断熱同様、通気工法の第一号がエアサイクル住宅です。
この年、日本省エネルギー住宅協会を設立、数々の実験結果をもとにエアサイクル住宅を省エネルギー住宅として普及するための本格的活動に入りました。地元工務店を組織したFC制度の始まりです。


1979年 PAC健康住宅 外断熱・外張り断熱のパッシブソーラー

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 断熱の矛盾・可変断熱住宅

私たちのように断熱材を柱の外側に施工する工法(外張り断熱・外張り断熱)は他にはなく、断熱の主流はグラスウールを室内の周り、壁・天井・床へと施工する方法(今で言う充填断熱)でした。こうすることで室内の暖房熱が逃げなくなって冬暖かい、省エネルギー住宅が実現できるというものでした。

内部結露の問題にも着眼していましたが、断熱という考え方そのものが自然のエネルギーを有効活用しようとする考え方とは相反する部分があると、「断熱の矛盾(断熱のジレンマ」)ということを盛んに訴えていました。

冬の昼間は太陽熱を建物にとりこみたい、でも夜は室内の熱を外へ逃がしたくない、夏はその反対で、昼間は外の日射を遮断したい、でも夜は外冷気を建物に取り込みたいという、夏冬・昼夜と、単に断熱するだけでは解決できない矛盾点を指摘してきました。

PAC住宅は、この矛盾を解決して自然のエネルギーをちゃんと使うために、夏の空気の流れ、冬の空気の流れを、床下と小屋換気口の開閉により変える、また集熱通気層も上昇気流のみ流れるよう、通気層下部に空気の逆止弁(エアダンパー・ルーフダンパー)を設置しました。

そのことにより、冬の昼間は集熱通気層の機能が、夜間には静止空気層となって断熱機能へと切り替わります。この換気口の夏冬の切り替えと、通気層を一方通行にする工夫で断熱の矛盾を解決しました。
この機能により、エアサイクル住宅を「可変断熱住宅」と呼んでいました。


1980年 PAC住宅 健康住宅 外断熱・外張り断熱のパッシブソーラー 

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 日本のパッシブソーラーハウス・PAC 外断熱・外張り断熱のパッシブソーラー健康住宅

欧米のパッシブソーラーハウスが、日本に紹介されていました。パッシブソーラーハウスとは機械設備を使わずに自然のエネルギーを設計や建物の建て方などの工夫で活用しようというものです。

例えばトロンブウォールというシステムは、南面のガラス面の内側にコンクリートの蓄熱体を設け、昼間は太陽熱でコンクリートを暖め、夜はそのコンクリートに蓄熱された熱で暖を得るというものです。
ウォーターポンドという仕組みは屋根の上にプールをつくって熱容量の大きい水を、冬、昼の太陽熱で暖め、夜は断熱ふたをして天井面から暖を得る、夏は夜間の放射冷却を利用して冷やし、昼、天井面から涼を得るというものなどでした。

いずれにしても日本の住まいで、南の室内にコンクリートの蓄熱体をもうけるとか、ましてや屋根をフラットにしてプールをつくるというのは考えられないことでした。

私たちはエアサイクル住宅をより進化させ、日本におけるパッシブソーラーハウスを確立しようと研究開発に取り組み1979年にはPAC・パッシブエアサイクル住宅を完成し、1980年にパッシブソーラー研究会をつくり、全国のPAC住宅の入居者の家を2年間にわたって実測しました。
これを機に、日本におけるパッシブソーラーハウス、PAC住宅は着実に地に足をつけ少しずつですが全国へ普及(会員工務店制度)していくことになります。後のパッシブソーラー認定へとつながっていきます。


1982年 健康住宅宣言

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健康住宅宣言

暖かく・夏涼しい、木造住宅を腐らせない家と、省資源・省エネルギーをメインテーマとしていたPAC住宅でしたが、もう一つの特性である健康性に着眼し、この年、「健康住宅宣言」を行いました。

建物の健康性をいち早くトータルに追求したのがPAC住宅でした。これまでは木造住宅を腐らせないという視点から「建物の健康性」を伝えてきましたが、健康住宅宣言を機に、PAC住宅に「住む人の健康性」を、温度と湿度の両側面から説明に加えていきました。
建物内に温度差があると、冷たい所は、脳卒中など血管系の病気の引き金になりやすくなります。また温度の低い所は相対湿度が高くなり、カビやダニ、結露などの問題を生じさせます。

PAC住宅は、冬のエアサイクル機能により建物内の温度差がほとんどなくなります。
床下・小屋換気口を閉めた状態の冬期も、躯体内空間には太陽熱等で暖められた空気が循環し、構造材を守るだけではなく、相対湿度を下げて押入れや北側の部屋なども湿気やカビの害から守られます。


1983年 健康住宅 健=建+人 

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健=人+建 健康住宅宣言 外断熱・外張り断熱のパッシブソーラー

1982年の健康住宅宣言をうけ、より具体的な理論付けを行ったのが「健=人+建」です。
健康という概念は人と建物の両方にかかっているということを、健康の健の字から、けん (健)イコールひと(人)プラスけん(建)、と読ませました。

さらに人の健康については「こころの健康」と「身体の健康」、建物については「耐久性」と「耐用性」この4つの健康性を実現した住宅をPACの健康住宅と定義づけました。

「流れる空気にふれさせる」と、耐久性の問題をまずクリアし、「断熱の矛盾」をクリアし温度差のない湿度コントロールされた住環境を工法で実現してきました。

「こころの健康」そして長く住まえるための「耐用性」は、建物の建て方の工夫だけでなく設計・間取りの工夫をすることが必要と、このころから「広がり空間」という間取りの考え方をくわえることで、健康住宅が、よりトータルな概念になりました。


1984年 広がり空間の健康住宅

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広がり空間の健康住宅 

健康に良い間取りといえば「風通しと陽当たりの良い家」ということになりますが、当時の間取りはそうなっていませんでした。
ちょうど欧米の影響を受け間取りといえば何LDKという時代です。個室を重視したこのLDK間取りは個室と個室を結ぶ動線として中廊下があり、この中廊下が風通しを分断し、南の部屋から入ってきた太陽の熱も奥の部屋には届かないという、健康という面から見ると問題だらけの間取りだったのです。

何LDKという強烈に根付いた思想を打ち破るのは大変なエネルギーでした。
まず否定しなければ何も始まらないと、中廊下はやめましょう、個室も特に子供室についてはやめましょう、玄関から階段、玄関の上の吹き抜け、これもやめてリビングの中につくりましょう、ドアをやめて引戸にしましょうと、広がり空間の間取りの考え方をわかりやすくパターン化し「LDK間取りへのアンチテーゼ」として発表しました。

どのスペースへ行くにもリビングを経過するという考え方はかなり強引ですが、家族のふれあいという側面からはとても重要でした。

個室も子供部屋についてはひとり一部屋という考え方ではなく、大きくつくっておいて子供の成長に応じて仕切っていく、子供が出て行った後は、また大きな空間にすることもできますというつくり。

個室の使用目的を限定しないということもありますが、できればリビングの中に書斎スペース、家事スペースといったつくりにすることで柔軟性のある暮らしが実現できたと思います。

風通しという面と普段は開けておいて必要なときには閉じて個室スペースができる引戸の見直しは生きたと思います。

もう一つの広がり空間の考え方の良さは、建築面積を小さくして、それで広々とした空間がつくれるということだと思います。

1997年、PACグループを解散し直接設計施工の道に入る頃には、広がり空間の考え方も広く一般に受け入れられていました。

「LDK間取りへのアンチテーゼ」としての役割は十分に果たしたと、直接設計施工の体制に入るのを機に、間取りに対する考え方も再構築し、広がり空間の考え方から「一品の家づくり」・「自由な家づくり」へと進歩発展を遂げていくことになります。


1993年 衣替えのできる家 外断熱・外張り断熱のパッシブソーラー

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衣替えのできる家 四季の衣替え

PAC住宅は空気の流れを夏と冬できりかえます。かつては「可変断熱住宅」という表現もしていましたが、或る時、会員会社の講演会の挨拶を考えていたときのことです。

断熱は冬支度、そのままでは夏は暑いですね、私たちが夏と冬で衣替えをするように住宅も衣替えできたらいいですね、そう、まさにPAC住宅は衣替えのできる家、すぐれものですと。

PAC住宅をできるだけ短いことばで理解してもらうわかりやすい表現をいろいろ考えていて、生まれたのが「衣替えのできる家」です。

PAC住宅の衣替えは原則夏と冬ですが、微調整もできます。
夏いっせいに換気口を開けるのではなく、春先にPACスーパー越屋根換気口をまず開けて、本格的な暑さにさきがけてPAC床下換気口を開けていく、そして少し肌寒さを感じる秋口にPAC床下換気口を閉じ、冬本番前にPACスーパー越屋根換気口を閉じることで、春夏秋冬、四季に亘って住環境を調整できます。

自然の移ろいとともに暮らせるまさにエコロジー住宅です。


1994年 プラス思考の健康住宅

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書籍「プラス思考の健康住宅づくり」 

これは今では絶版になっていますが、エアサイクルハウジング(株)の田中慶明と故・若林礼子の共著となる本の題名です。
当時はPACグループ本部として全国の会員工務店を通じてPAC住宅の普及をしていました。技術を中心としたグループでしたので、会員会社の経営者、営業・設計・施工の各担当者を対象とした勉強会はかなり頻繁に行っていました。

そうした講座を通じ、本当にいい仕事ができるように、仕事を通じてこころの成長を遂げられるようにするためにはハード面の勉強だけではなく、こころのありよう、自分自身を見つめるといった精神的な側面からの刺激も必要と、この数年は「プラス思考」について常に話題にしていました。

家づくりにかかわるすべての人のこころができることならプラス思考であって欲しい、そうした思いがつまってできた家はきっとエネルギーに満ちていて、建主のご家族にとっても心地よい暮らしができるはずと、そんな思いをこめてプラス思考・プラス思考と声を大にしていました。

健康なこころの状態で毎日を暮らすために、落ち込んだり悩んだりいらいらしたり、そんなときに自分の姿がもう一人の自分で見つめられて、こころのコントロールができたら、そのときにマイナス思考にならずにプラス思考で気持ちを立て直す習慣を身につけましょうと。

プラス思考のとらえ方は意外と難しく、自分勝手に解釈すると、何があっても落ち込むこともない、単なる自己都合優先の楽天家なんていうことにもなりかねません。自分の心の中を常に見つめている習慣も同時に求められます。

自分を見つめることが習慣化すると、感情的になったときも、その感情に流されずにすみます。毎日を新鮮なこころでむきあえるようにするためには、先入観や自分の感情にふりまわされないことだと思います。

そしていい意味でプラス思考に生きている人間の周りには同じような志向の人間が集まってきます。毎日人の悪口や愚痴ばっかり言っていると、自分自身が話している通りの人生になってしまうように、常にプラス思考で思い、その思いを言葉にし、実践していけばきっと気持ちのこもった楽しい仕事につながっていくと思います。


 

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自然住宅・エコロジー住宅 床下の毒ガス 

「床下の毒ガス」というショッキングなタイトルは、「農薬と環境破壊56話」という加藤龍夫先生の著書の一説です。
この本を手にとる前に、家庭内農薬、暮らしの中には実にさまざまな農薬をはじめとする化学物質が知らずに入ってきて健康が脅かされているという事実を知り、実際の建物の材料はどうなのかと、そちらへ問題意識の目が向けられていたときです。

空気質という視点から住環境を考えることは今まで全く例がなくデータも何もないのが実態でした。そこで当時横浜国立大学環境科学研究センターで教授をされていた加藤先生に相談し、PAC住宅の室内空気の分析を依頼しました。

考えてみれば今のように自然素材・エコロジー建材といったものが入手できる時代ではなく、PAC住宅もごく一般的に手に入る建材を使用していました。ただPAC住宅はPACスーパー越屋根換気口とPAC床下換気口を夏は開放します。夏の期間は床下から壁の中、小屋空間を通って外へと外気が流れますので、この時、建材に含まれている化学物質もPAC住宅なら抜けるのではないかと、直感的でしたが思っていました。

そこで新築当初の住宅とひと夏経過したPAC住宅の室内空気の分析をしていただくことになりましたが、その前にどういう物質がどの建材に含まれているかを知る必要がありました。
住宅に使われる建材の小片を事前に分析し、それから完成した建物の床下や小屋裏、室内数箇所の空気を採取し分析をしていただくことになりました。

結果は思ったとおりで新築当初は20数品目の化学物質が検出されましたが、ひと夏経過したPAC住宅は一品目を除いてすべて安全なレベルまで抜けていました。

その一品目というのが床下の毒ガス、白蟻駆除剤だったのです。発がん性、奇形児が生まれる可能性、いわゆる催奇性、身体の脂肪の中に入り込む脂溶性、難分解性、残留性と、恐ろしい農薬が使われていました。

健康住宅がこのままでは健康住宅でなくなってしまうと、会員会社を通じて、白蟻駆除は一切やめようとの姿勢を打ち出しました。当時は、薬剤による防蟻処理は住宅金融公庫の義務付けの時代、建主の方のご理解でやらない姿勢をずっとしてきました。

今ではもちろん薬剤による防蟻処理は義務付けではなくなりましたが、それまでに住宅金融公庫をはじめ、研究機関や大学教授のところを訪れて薬剤による防蟻処理の義務付けをはずして欲しいとの要望をしつこくしていました。

建主の方の理解があってこそできたことですが、これまでにも実績をつくってしまって後から行政に認知してもらうということをいくつか経験してきました。正直、これからもずっとそういう存在であるのかも知れないと思っています。

住宅の空気質を本格的に分析したのもPAC住宅が第一号のようです。
防蟻処理さえやめれば一般的材料を使っていてもひと夏で抜けることは立証されましたが、やはり新築時から健康な家をつくりたいという思いは捨てがたく、入手可能な自然素材・エコロジー建材から取り入れていくという姿勢で健康住宅に加え自然住宅・エコロジー住宅への一歩を大きく踏み出しました。


1997年 清く豊かに美しく

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清く豊かに美しく

20世紀までの物・金の時代は去って、21世紀の経済原則は清く豊かに美しいものになるはずとの強い思いがありました。

考えてみればPAC住宅開発初期の1979年、「女性と老人」を大きな事業テーマに掲げていました。

ここで言う女性とは、女性が男性と変わらず働ける会社にしたいということでした。今でこそまるで時代錯誤のような話ですが、当時社会的に認知されていた女性の職業や環境はほんの一部で、特に住宅業界などでは全くといって良いほど受け入れらてはいませんでした。

男女雇用均等法など社会的なバックアップも手伝って、いまやどんな業種でも女性が活躍しているうれしい時代となっています。
もちろん我が社も女性の活躍は大で、これからもますます女性パワーを発揮して欲しいと思っています。
もう一つの老人、これは本当の老人を指していたわけではなく、団塊の世代が第一線を退く、いわゆる2007年頃を見据えて話していたことです。

能力はもちろんまだまだ体力のある団塊の世代の第二の人生を真剣に考えていました。
会社設立時に語っていたことは経済と直接関係ないところで能力が生かせて、本人も社会も豊かになれる社会というか機構をつくりたいね、というものでした。

21世紀を迎えるにあたり、ずっと思い続けてきた、今でも思い続けている団塊の世代の第二の人生ということも踏まえて「清く豊かに美しく」という社会構造を描いています。

「清く」生きて、もちろんそうした仕事をして、貧しくならない、いや「豊かに」なれる社会がすでに一部では実現できていると思っています。そうした「美しい」世の中をつくりたいとの思いです。

金儲けのためならどんなものでも売る・つくるという社会に、健康・自然・エコロジーといった人々への関心が大きくブレーキをかけたと思います。

私たちも家づくりという仕事を通じ実践しています。こころはまさに豊かです。経済的にはもう少し、でも思い出します、室内空気の分析でお世話になった加藤先生に最初にお会いしたときの一言が。「あんたたちみたいな青臭い人間が生き残れてるんだから世の中も見捨てたもんじゃないね」

今でも加藤先生とはお付き合いしてます。先生は1929年のお生まれ、先生が元気なうちに、清く豊かに美しくを名実伴に実現できてる会社がもっと多くの影響力を持つ存在になっていたいとこころから思っています。


 

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顔の見える関係

1977年から技術開発を中心にグループ本部として会員工務店を通じた家づくりをしてきましたが、この年、PACグループを解散しました。

思いは一つ、「顔の見える関係」の家づくりをしたいということでした。
グループ時代、北海道と沖縄を除き約5000棟のPAC住宅を建築してきましたが、建主の顔が見えるケースは数えられるほど、たまたま講演会でお会いしたり、会員工務店と一緒に訪問したご家族だけでした。

家づくりをもっとこうしたいああしたいという思い、また住宅のプロセスと同時に完成までを見届けたい、入居後の様子も把握したい、家づくりを通じもっと人間関係を広げ深めたいと、大きな事業転換をはかりました。

納得する家をつくるには、建主の方の顔と同時に、一人ひとりの職人さん、一つ一つの木材はじめ使われる素材の氏素性、素材をつくっている人たちの顔と、欲望は膨らみました。

人・物・金と言われますが、まさにその通りでまずグループ解散後に社内の人材、そして職人さん、使う建材や素材を作っているオーナーと、技術ばかりでなく、家づくりにかける同じ志向の情熱をもった信頼できる人間関係づくりに最も力を注いできました。

もともと田中慶明・若林礼子(故人)の趣味が食、それに絡む陶芸・ガラス・漆器の器からはじまって手づくりの一品物のインテリアにありましたので、アーティストの友人知人はたくさんいました。

まず人間にほれる田中慶明・若林礼子(故人)ですから、密度の濃いお付き合いをしている作家のみなさんは生き方なり考え方をともに共鳴できる仲間です。

建主さんと直接設計の打ち合わせをし、図面を作成、一つ一つの仕様を決めて、地鎮祭・上棟式と完成まで、職人さんの手配から材料の手配と施工管理していく、この当たり前の工程が、自分の家をつくるような楽しさとよろこびがありました。

大工さん、左官屋さんをはじめたくさんの職人さん、そして構造材・板材・畳と、みんな生産者と信頼関係のもとにつくられる家が実現できました。

より豊かな感性を住空間へとの思いがこれまでの友人知人のアーティストの登場でした。一品物のアート、照明や洗面ボールに始まって、家具もアイアンも、しかもデザイン・つくりかたともにとことんこだわった顔の見えるアーティストの手によって一品の家・自由な家へとさらにステップアップを遂げます。


2006年 一品住宅

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一品住宅をつくる

注文住宅の家づくりは、無から有、なにもないところから平面計画、そして空間構成を生み出します。
建主のご家族が思い描かれていること、現在どういう暮らしをされていて、今後どういう生き方をのぞまれているのか、どういう家族関係にあるのかといったようなことはとても重要な初期情報です。

その初期情報を設計者がくみとりイメージし、ファーストプランが提案されます。もちろん住宅建築地の環境や立地条件、予算などを考慮し計画は練られます。

このファーストプランをもとに、建主と設計者との相互の理解を深めながら、一つのイメージとなって重なり合うまで基本計画は続きます。

基本プランというフレームができてからは、より具体的に生活・感性を反映させていく実施設計が続きます。
それは、生活に根ざしながらも使い勝手もよく、それでいて繊細で美しい空間づくりをめざしていきます。
建主と設計者の相互理解と信頼が深まることで、空間の質はトータルに高まっていきます。

せっかく一から空間を創りあげていく計画の中に、量産のどこにでもある既製品をただ選んでいくことはできるだけ避けたい、つくれるものはつくりたい、その思いが「一品の家づくり」にたどりつきました。

PACグループを解散し、建主の方と直接設計施工をする体制になってから、顔の見える関係、既製品は避けてつくれるものはつくりたいとの思いでずっと家づくりをしてきました。

木構造だけでなく窓枠などすべても全て無垢材で一からつくる、建具もオーダー、浴室も天井・壁に木を張る、メーカーのものではない手づくりの洗面台とできるところからやってきました。

今ではキッチンも家具もオーダー、建築化照明やオリジナルの照明器具、手すりやフェンス、ちよつとした小物をアイアンでつくるなど、一つ一つのアイテムを感性のあった職人・アーティストにつくってもらう、「つくる」の思いがかたちとなってきました。

一品住宅は、建て主さんそれぞれの思いのこもった家、そのご家族にピッタリ合った家です。

また「一品」を「ひとしな」と読んで、この部分には思い入れを、といった意味でもあります。


 

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自由な家づくり 

「一品住宅」をつくるためには、自由なこころが求められます。
従来の既成概念、習慣や伝統にとらわれ縛られない伸び伸びとした精神が必要です。

家づくりの周囲には、ものすごくたくさんの情報が散乱しています。自由なこころを持っていなければ、ただ情報に振り回されるだけです。自分で判断していると思わされているだけの情けない状態です。住宅展示場もカタログも書籍も、自由な精神で見なければ、ただ、情報提供者に思い込まされただけになります。

自由なこころを持つためには、自分を知る、そのためには自分自身を常に見つめることが必要です。
 
自分自身を知る人は、自由に生きられ、自由に暮らせます。
 
自由なこころでつくる「一品住宅」、そうした「自由な家づくり」が広まることで、社会も、既成概念や伝統習慣から少しずつ自由になっていくと信じています。

自由な家づくりの実現には、建物の建て方、間取り、一つ一つの素材、インテリアすべてが関わっていますし、そこにかかわった人たちの思い・情熱の要素がとても大きいと思っています。

顔の見える関係の家づくり、志向を同じくする、深い信頼関係の情熱的な職人・アーティストの存在があって始めて実現できるのだと思います。

こころにとらわれのない、昨日に引きずられることもなく、明日を今日の延長にすることもない、日々新鮮なこころと頭でいられる、そうした人たちと出会えて、自由に生きるということを伴に真剣に見つめながら「一品住宅」「自由な家づくり」ができたならとても幸せです。


2009年 エアサイクルハウジングの健康住宅 

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健康住宅のエアサイクルハウジング

エアサイクル住宅・PAC住宅を追求して32年、一層の飛躍を意図してPAC住宅のノウハウ、建築事業は全てエアサイクルハウジング(株)に事業継承されました。

顔の見える関係の広がり

エアサイクルハウジング株式会社の代表である浦 弘之は40年間、木材・建材に深く関わってきました。
一品の家づくりは「つくる」ことへの思い入れから既製品の使用は限られていましたが、浦代表の培ってきた幅広い人脈と知識により、顔の見える良質な住宅資材を広く導入することが可能となりました。
これにより、「つくる」ことと「既製品」のハイブリッドが広く可能となり、リーズナブルな価格でより良質な住宅の提供をすることができるようになりました。

2011年10月 市川 小奈枝 が社長となり大幅に若返りをはかりました。