尾山台に住む

つくる 漆喰と畳

漆喰と畳、一見違うものを同時に書いてみたい。
これらには共通点が二つある。一つはどちらも日本の伝統文化であり、どちらも余り使われなくなってしまった。もう一つはプライベートなことと言えるが、出会いを感じた人の名前が、いづれも植田さん、何か見えないご縁がより強く働いているようで楽しい。
漆喰の人は、植田俊彦さん。普段は作業着だが、そのスーツ姿はまさにアーティスト。植田さんは淡路島で住宅部門と左官部門をもつ会社を営んでいる。
現在、淡路島では2棟のPAC住宅が建築されている。その1棟目の見学会で植田さんと出会った。同時に、植田さんの漆喰に魅せられた。
その時に出会った若者がいる、左官の修行10年目の荒井さん。以下が交わした短い会話。

「10年もやっているんだったら、もう、親方の腕と同じくらいになったんじゃない?」
「とんでもない。まだまだですよ。左官の世界はとても奥が深くって。」
「仕事楽しいですか?」
「毎日楽しくてたまりません。でも時々眠れないことがあります。」
「どうして?」
「明日の仕事を考えると、ワクワクしてしまって!」

こんな素敵な若者との出会い、その親方植田さんは当然オーラを放っていた。素晴らしい人格者のアーティストである。いちもにもなく出会ったと感じた。

同時にいろいろな漆喰仕上げの家を見せてもらう、漆喰のもつ古臭いイメージを一新させられる結果となった。モダンなのだ。漆喰のもつイメージは寺社仏閣の壁が一般的だ。でも、植田さんの漆喰は違う、現代アートだ、古い殻が壊れ、新しいイメージが爆発した。尾山台の家の壁と天井が植田さんの漆喰に決まった一瞬である。
植田さんも同時に何か出会いを感じたようで、東京に行くよ淡路島価格で、と阿吽の呼吸。植田さんは名人、左官業組合の指導者であり東京にもお弟子さんはいる、しかし、植田さんも出会いを感じる人、感じたからには全国どこでもの情熱のもち主である。実際に尾山台の家をきっかけに東京でも数軒のPAC住宅で、植田さんの漆喰仕上げがスタートした。
植田さんを中心に、5、6人の職人さんがうごめく様はみごとである。壁や天井に生命がどんどん吹き込まれていく。
海藻であるふのりを炊き漆喰にまぜる、漆喰の作業中、尾山台の家は海の家さながらの香りが満ちた。2週間ほどで塗り終わったが、空間は一変、自然のエネルギーが満ち溢れている。
現代アートと言える植田さんの漆喰は、手のひらで最終仕上げをするパターン、黒寒水と呼ばれる数㎜の小石が混ざった帆立貝のような仕上げ、藁をまぜこてで押さえた伝統的仕上げ、鳴門の渦潮のような天井仕上げ、ブルーに仕上げられた地下室の漆喰と様々な表情を誇っている。

しかも驚いたことに、漆喰はアートばかりでなく実質的でもある。我が家は3頭のワンちゃんが走り回っている、その臭いがほとんどしない、漆喰は、下駄箱や収納の壁天井にも塗られたが、下駄箱特有のあの臭いはない。さらに驚きは、犬の爪にも負けていない。3人の子供たちの引っ掻き傷がつかない、これは感激ものだ。もし、珪藻土などの塗り壁にしていたら廃墟さながらのムードは避けられなかっただろう。不思議なことに犬の毛も付着していないし、汚れも簡単に落ちる、3人の子は全員女性、半年に一度のシーズンすなわち生理期間には血も飛び散る、漆喰の白い壁も所々赤く染められるが、何とこれが簡単に落ちる、濡れ雑巾で拭くだけで。
漆喰にまつわる話として、よく部分補修はできない、部分的に後から塗るとそこだけ色が変わるから全面塗り直しだよと、実際尾山台の家でも脅されたことがある。でも、これも噂話、うそ話に過ぎなかった。
1年半も経ったころ植田さんに補修に入ってもらった。尾山台の家は、国産無垢杉の太い梁材が使われている、漆喰は一度固まると伸び縮みの動きはないが、木は時間とともに乾燥して縮む、当然、漆喰壁から梁が突き出した回りの部分の漆喰は割れ隙間もできる、主にその隙間補修をしてもらった。説明しながらの作業にかかわらず1時間足らずで全体の補修は終わってしまった。隣家の地下工事の際に生じた一部壁の割れ補修も含めてである。
そして常識とはうらはらに補修した個所は、白い漆喰であるのにまったくわからない。さらに驚きは続く、台所の天井も白の漆喰仕上げ、まったく汚れがない、そこに取り付けられた火災用センサーには汚れがこびりつき定期的に拭いているが、白の漆喰天井は、キッチンの白いタイルよりもはるかに汚れがない。なんとも不思議であり驚きである。

光や明るさで漆喰はさまざまに表情を変える

地下室の漆喰光の加減でこんなに違う表情を見せる

もう一人の出会いは、植田昇さん。健康畳植田の若き経営者。畳表のイグサそして稲藁床の無農薬有機栽培を目指している。PAC住宅の畳はすべて植田さんのもの。 尾山台の家もロフトに3畳分の琉球畳を使わせていただいた。植田昇さんの素晴らしい所はこの畳を全国の畳屋さんを通じて求める人に応じられる組織づくりをしている所にある。
20年ほど前になるだろうか、畳はダニの温床、アレルゲンの培養装置とまで言われ、急速に日本の住宅から姿を消してしまった。わずかに残った畳もその後は薬剤漬け、ダニが繁殖しないための工夫がされた。 それが今度は化学物質過敏症を引き起こす原因の一つと言われ、また畳は減ってしまう。そんな中で立ち上がった若き闘士が植田昇さんだ。
畳は日本の伝統文化、きちっと残す必要がある。我が家は3人の犬と同居、畳は恰好の穴掘り場所となるため、子供たちの来られないロフトに敷いた。
これが大正解。とても落ち着く絶妙な空間ができた。ロフトは天井が低い。それを生かして、茶室の雰囲気としゃれ込んだ。3畳分の琉球畳に杉の厚板を配し、 正面には床の間とみたてる空間を下半分の押入れの上につくった。押入れ引戸は江戸唐紙とした。
家具階段を上がって、にじり口を入るがごとく。何か違う空気が漂っている。
瞑想空間と名づけたが瞑想をしたことはない。ただゆっくりと座ったり寝転がったりするだけであるが、別天地の落ち着きがある。これも畳のなせる業のひとつだ。
畳の間が急速に増えてくるとは思えないが、天井を高くできないロフト空間こそ畳の間とのアイデアが全国に広まってほしいと願っている。それも無農薬有機畳で。

ロフトの琉球畳と漆喰


前のページへ戻る