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プラス思考の健康住宅づくり

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健康、私たちにできること

「プラス思考の健康住宅づくり」1994年発行

 健康の質が問われる時代になってきた。かつて健康のバロメーターは快眠・快食・快便だった。そして適度な運動でもしていれば自他ともに認められる健康体の象徴だった。また、仕事で徹夜をする、しかも接待接待で酒の席が続き、やっぱり寝不足の毎日が重なっても何とか無理が効いていた身体は若さの象徴とされていた時代だった。
 こうした時代に、健康の為に油ものを避けるとか、肉を控えめにするとか、補助栄養食品(サプリメント)を摂るなどと言うと、そんなに長生きしたいのかなどと言われたものだ。年齢が若ければなおさらのことだった。だから、水から見直さなければいけないとか、無農薬の野菜にしないと危険だの、添加物がいけないなどと言っている人間は極々少数で、異端児扱いされていた。そんな時、必ずかえってきた言葉は、だってみんなが食べている物じゃない、テレビでだってあんなに広告してるし、大手のメーカーの作っているものだからそんなに神経質になることないじゃない、そんなこと言ってたら食べるものなくなっちゃうんじゃない、だった。
 昭和も終わり頃からだろうか、健康という言葉が巷に溢れ出た。そしてブームに乗っていろいろな商品が出され、またあらゆる情報が流された。中には当然ながらイメージだけの健康を売るものや、金儲けのための物もだいぶあった。だから無心に信じ、高いお金を払って裏切られた気持ちを持った人も多かったと思う。しかし、所詮いいかげんな物や、たいして価値の無いものは自然に姿を消していくものである。だいぶ淘汰されてきた感がある。
 物からこころの時代と言われて久しいが、いよいよ、大きな時代の変わり目が迫っている。自分達が正しいと思うことを、それこそ回りを気にせず、着々と実践する仲間が増え、その輪を広げている。かつて人より少し時代の先取りをし、人より早く気付いた人達、そしてそうした少数派の人間の唱える本質は、社会の大きな流れの中に埋もれるか、潰されていた。少なくとも経済社会の中では生き残れなかった。豊かになれないにもかかわらず本質を問い続ける人達を、ボランティアか宗教かと見ていた人は多かった。
 今、本質、本物を追及する人達が豊かになれる時代になってきた。それはとりもなおさず大量につくって大量に売る、次から次へと新しい商品をつくる、大きいことは良いことだといった、二十世紀の経済社会を支えていた根本の理念が大きく崩れさられようとしていることに他ならない。
 住宅についても、健康と言えば、ホームサウナ、ジェットバス、アスレチックルーム、そして空気清浄器というように、設備で対処しようとしていた時代だった。しかもこれに薬剤がつきまとっていた。そして今、住宅においても健康の質が問われ始めてきた。
 住宅の建て方や空間のつくり方における健康はもちろん、その中でいかに健康な生活をおくるかということである。空気・水・食べ物、そして家族のこころの在り方へと目が向けられてきている。そうした中で、特に考えて欲しいことは、家を住み継ぐ、言わば、親の代、子の代、孫の代と世代の異なる家族が同居できる住まいをつくって欲しいということである。こうした生活環境の中で、子供は実に多くのことを学びとることができる。
 人は老い、そして死を迎えるという悲しい現実に直面し、その中から生の歓び、生きることの意味あいを学ぶことができた。愛する家族の死は、死の尊さ、はかなさ、そして失って始めて知る愛の深さや存在感の大きさを目のあたりに体験することになる。
 一緒に暮らしている祖父や祖母の死であるからこそ、その悲しみも大きい訳で、遠く離れて生活していたなら、その距離が悲しみを薄らげてしまいはしないか。昨今の、小学生や中学生の自殺、安易に殺人に走る青少年の姿に、核家族という社会背景をあてはめることはできないだろうか。
 老い、死、そして生命の誕生にもまた大きな感動を覚えることができた。家族が増える、新しい命の誕生が家族にもたらす歓び、そしてそこからは、いかに自分も愛されて迎えられた存在であるかの認識をあらためて感じることだろう。
 こころの時代と言われ、家族のふれあいが求められているにもかかわらず、高齢者専用のケアマンション、シルバーマンションへ人々の関心が注がれているのは何故だろう。
 核家族になって、しかも仕事を持つ母親が増えてきている現状では、ますます同居が望まれてしかるべくである。子供をそのまま家において、仕事に出ることができるように育児を支えてくれる家族がいたら、母親も安心できるし、子供にとってもベターな環境であるはずだ。子供の数が激減している。兄弟とのふれあいももてず、おじいちゃんおばあちゃんは家にはいない、しかも都会のマンションか何かで自然に恵まれない環境にいて、豊かなこころの人間が育つ訳がない。
 同居と言うカタチを継承しながら住み継いでいく家、住み継いでいける家、それが最も自然の姿であるということにたちかえってみたい。