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プラス思考の健康住宅づくり

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何LDKは間違っていた

「プラス思考の健康住宅づくり」1994年発行

 今の住まいの間取りの問題点をまとめてみたい。まず玄関から考える。玄関の位置はどうだろう。展示場の玄関は南向きの中央にある家が多い。しかし玄関を真中にとって、そのまま廊下をつくると生活空間が二つに別れてしまうし、風通しや日差しの事を考えてもどんなものだろう。
 玄関の上に吹き抜けのある家も多い。しかしこれでは玄関を開け閉めする度に冬などは外の冷たさを廊下や玄関ホールはおろか、二階にまで入れてしまうことになる。
 吹き抜けは、むしろ生活空間の中にとれば、冬の冷たさを家に入れてしまう心配もないし、かえって夏は一階から二階へと風が抜けて涼しくなるのではないだろうか。
 玄関を入ると、玄関ホールがあって中廊下とつながっている。中廊下には、二階へ行く階段がついている。こういう間取りは、一階に家族が居ても、抜き足差し足で二階へと入っていける。子供が知らないうちに帰っていたというならまだしも、知らない人が入っていてもわからないということになりはしないか。
 そしてこの廊下が曲者。玄関を真中にとった時と同じで一階の生活空間を二分してしまう。風が抜けない、太陽が奥まで差し込めないという問題がでてくる。
 廊下が何のためにあって、本当に必要なものなのかどうかも考えてみたい。言わば廊下は通り道である。家族空間の中に通り道が必要なのだろうか。
 個室をつくるという発想にたてば、部屋から部屋への移動の際に必要ということもあるかも知れない。確かに他人同士が生活しているのであれば、自分の部屋へ行く時に他人の部屋を通っていく訳にはいかないから必要だろう。しかし家族だったら、誰かいる部屋を横切ったってさしつかえなかろう。部屋と部屋がつながっている、一階が一つながりの空間だったら、廊下は要らないことになる。
次にこの家族空間を考えてみる。実際には結構仕切られている家が多い。特に、応接間を切り離す、おじいちゃん、おばあちゃんの部屋を切り離す。洋間のリビングと和室の茶の間を切り離すといった具合だ。
 こうなると使ってない部屋が増える、一部屋一部屋が狭くなる、家族が顔を合わせなくなるという、二重苦三重苦の住まいとなってしまう。おまけに風通しも悪くなる。そして問題はおじいちゃんあるいはおばあちゃんの個室。二人一緒ならともかく、一人ではとても寂しいはず。お母さんと仲の良いおじいちゃんおばあちゃんならまだしも、もしあまりうまくいってない関係であれば、ほとんど一日中、部屋に閉じこもって、本当に老いこんでしまうことだろう。
 何LDKの間取りには、ほとんど襖や障子といった引き戸が使われていない。個室重視、プライバシー重視ということになるとあたりまえなのかも知れない。しかし日本では、引き戸でもプライバシーは守れていた。日本で個室のドアに鍵でもついていれば何か異様な感じがする。しかし、欧米人の感覚からすれば襖一枚でプライバシーが守れるということは理解できないだろう。それが文化の違いではないだろうか。
 二階を見てみる。二階はほとんどが夫婦の寝室と子供部屋中心の個室になってしまう。確かに夫婦の寝室は個室が必要かも知れないが、子供部屋を判で押したように、六畳で二
つ、三つとつくるのは不自然な気がする。 子供三人がそれぞれ個室で勉強したり、ファミコンゲームに興じている姿は考えただけでもぞっとする。
 寄宿舎じやないのだから一緒に勉強したり、一緒に遊べる空間にしたらよっぽど良いと思う。人とふれあうことがもっとも子供にとって刺激となり、成長させることになるのだから。
 しかも十年もしてこの子供たちが家を出て行った後、六畳三部屋の個室はどういう使われ方をするのだろう。
 最近、子供が何を考えているのかわからないという親が増えていると言われる。社会に適応できない子供も増えている。子供の自立のためだとか、独立心をつけるためだとかという言葉の裏に、親が子供とのつきあいを恐れ、あるいはどうつきあってよいのかわからずに放棄しているということはないだろうか。
 子供のこころを尊重するとか、自由にのびのび育てたいというのと放任することとは違う。それでいて、世間体を気にして、なるべく普通に生きるようにと、小さいころから自分の価値観で社会常識という枠をつくってしまってはいないだろうか。
 何LDKの間取り、個室を重視するという間取りは、親も子も自立ということをお互いに同じ価値観で考えられる土壌が歴史的に確立されている国のもの。
 日本には日本の親子間の精神的距離というのがあるはずで、そうした生活のあり方を住まいの中にどう位置づけていくかが問題なのではないだろうか。