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プラス思考の健康住宅づくり

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努力しないと家族のふれあいが持てない家

「プラス思考の健康住宅づくり」1994年発行

 新しい家に住んだら広くなったせいか、あまり家族が顔をあわせなくなった。子供も学校から帰ってくると自分の部屋へ行ってしまう。今までなら食卓の片隅で宿題なんかやってたのに。
 下の子が最近お兄ちゃんとけんかしなくなったと思ったら、自分達の部屋を持つようになったからなんだ。おばあちゃんも自分の部屋でテレビを見ている。今までは茶の間で一緒に見てたのに。
 そう言えばお父さんとおばあちゃん、生活の時間が違うとはいっても最近ほとんど口を聞いてない。前は遅く帰ってきても、おばあちゃんの部屋が隣だったから襖を開けて、お疲れさん、また呑んできたの、なんて声掛けてたっけ。
 家族の会話が少なくなってしまった。これで良かったのだろうか。意外とありそうなことではないだろうか。
 家族の会話が少なくなったのは家が広くなっただけではないだろう。家族が顔をあわさなくても、生活できるような家のつくりになってしまっているからではないだろうか。
 以前の家のようにおばあちゃんの部屋の隣が茶の間になっていて、襖かなんかで仕切られていたら、お父さんが帰ってきた気配も感じるし、会話も生れたのではないだろうか。
 おばあちゃんが自分の部屋で一人でテレビを見るのは、おばあちゃんの部屋にテレビがあるから。子供部屋だってもしテレビがあれば一人で見ていることになりかねない。
 茶の間、あるいはリビングにしかテレビを置いてなかったら、テレビを見に家族が集ってくる。そしてそこで会話が生れることになる。
 最近は子供部屋にステレオあり、ファミコンあり。電話の子機までついている。これでは子供が部屋に閉じこもってしまうのも無理からぬこと。
 家族がそれぞれ自分の部屋に閉じこもって生活していて家族と呼べるのだろうか。家族がそれぞれ個室を持つ、プライベート空間を持つという生活習慣は日本にはなかった。家族が各々個室を持つという何LDKのプランは、欧米のプライバシーを重視した家づくりの中から生れた間取りである。
 日本人の家族の概念、日本の住まいのかたちをその歴史的背景から考えてみたい。日本人は農耕民族であった。水資源に恵まれた肥沃な国土、そして温暖な気候風土が農耕社会を支えていた。その土地その土地に居を構え、生活の糧を集団で守る意識が日本の家族、日本人の意識構造を形成してきている。そして何よりもその収穫を大きく左右する自然の摂理に、自然を崇拝する思想が息づいている。欧米の思想が厳しい自然に対し戦う姿勢、自然をコントロールする姿勢であるとするならば、日本人の自然感は祈り、賛え、自然と一体に生きる知恵を働かせてきた。
 自然崇拝の思想、そして集団生活の歴史が、日本の住まいをかたちづくり、そこに住まう人間の絆を日本人独自の国民性に仕上げてきている。
 自然という一体空間の中にお互いの住まいなり生活が共有するという思想のもとに、日本の家づくりの歴史がある。
 何LDKといった間取りをかたちだけ日本の住まいにとりいれても、生活上の不都合を感じるか、あるいは家族間のコミュニケーションといったところにあつれきが生じてしまいはしないか。
 日本の間取りがいくら欧米風になったからといって、生活習慣まで変えられるものではない。現に、日本の風呂はやっぱりどっぷりと漬かるタイプのスタイルだし、家の中で靴を履いて生活するなんて考えられない。
 個室の意味するところが違うように、風呂の役割も相当な違いがある。日本人にとっては一日の疲れを癒すくつろぎの場であり、また家族のスキンシップの場であったりする風呂も、欧米人にとっては目的は汗を流すことである。
 日本の家族が求めるふれあいの場とか、団欒の場というのは、何LDKのプランの中にはないのかも知れない。何LDKのプランでは家族の集る場として家の中に一箇所リビングをつくっている。日本でいうならば団欒の間という部屋を家の中につくることと同じである。しかしながら日本の住まいにおいては浴室さえが団欒の場となり得るように住まいのいたるところがふれあいの場であった。
 それは家族がさりげなく言葉を交せる、何となく姿が目にはいるといった間取りのつくり方だったからではないだろうか。
 日本の個室はプライバシーを守るという精神からはしょせん程遠い使い方をしているのだから、使い方、住まい方にあわせた個室のつくり方を工夫したらよいのではないだろうか。
 自分達の大事にしている、変えられない生活のかたちをそのまま家の中につくっていくことが重要なのではないだろうか。