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夫婦の生活実感でつくる家

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バリアフリーの落とし穴、やがてあなたも車椅子の生活?

「夫婦の生活実感でつくる家」1997年発行

 最近、バリアフリー対応の家を希望される人が増えている。すでにハンディキヤップを持っている方、また近い将来そうした老人との同居予定があるという方が考えるのはしごく当然のことである。
 しかしながらまだ小さな子供どもを抱えた、建て主はまさに働き盛りという家族がバリアフリーの住まいを真剣に検討するというのはいかがなものだろう。
 恐らく自分自身、もしくは家族の誰かが将来車椅子のご厄介にならないでもないと考えているからだろうと思う。
 健康ということに自信の持てない人が増えているのか、もしくは安全係数の高い人が増えたのか。
 これからの老人社会に対する漠然とした不安、そして自分の老後は自分で守るしかないといった自立心の現れなのだろうか。
 考えてみると、ひと昔前の老人は健康だったと思う。自宅で家族に看取られながら眠る様に息を引き取っていくという自然死が当たり前だった。
 ところがその当時の日常生活においては、今のように高齢者対応のための行き届いた設備はなく、老人にとって過酷な環境であったと言えるかも知れない。
 足腰の衰えた老人にとっては楽なベッド、椅子、洋式トイレなどは一般家庭にまだ普及していなかった。畳の上で座って生活する、布団で寝る、しかもトイレはしゃがんで使用する和式タイプ、それがごく一般の暮らしだった。
 しかしながらこうした生活のスタイルが、結果としていつまでも足腰の強い老人をつくってきたのかも知れない。
 トイレだけでなく、浴室も老人にとってはつらいものだった。今のような高さの低い浴槽ではなかったし、足を伸ばして湯につかるなんていう芸当はできなかった。
 またぐのも大変、深い浴槽ではかなりつらい姿勢で湯につかっていたことになる。シャワーなどもちろんないから、おけで湯を汲んでは身体を流すことになる。
 考えてみれば良く歩く、そして家事にしても今の様な便利な設備がなかったことで何しろ身体を動かしていた。
 身体を使う、頭を使う、忙しくってぼけてなんかいられなかった、などと言う、元気な老人の声が聞こえてきそうだ。
 さりとて、今の老人が過保護だなどと言っている訳ではない。老人に限らず、今の生活、とりわけ家事労働に関しては頭を使わなくてすむよう、身体を使わなくて済むようにと便利な家電製品が身のまわりに溢れている。
 その楽になって生まれたゆとりの時間をどう有意義に使うかをよほど意識していないと、こころも身体もなまってしまうと危惧しているのである。
 さて、健康な死、自然死を誰もが迎えられるなら車椅子対応の住まいは要らないことになる。
 しかも本来誰もが健康な死、言葉を変えれば死ぬまで健康に生きるということ、眠るように自宅で迎える自然死というものを望んでいると思う。
 にも拘わらずバリアフリーの住まいを考えている人は、一様に車椅子の生活に対応できる家を想定している。
 健康な死を望みながも、こころのどこかで、ひょっとしたら自分自身もしくは家族の誰かが車椅子の生活や寝たきり状況になるかも知れないという不安があるからバリアフリーということを考えるのだと思う。
 そうした不安に思う気持ちや、実際に車椅子の生活に対応できる家に住むということが潜在意識にはたらきかける力は大きい。
 深い意味でバリアフリーをとりいれた訳ではないと思っていても、どこかで不安に思う気持ちが潜在意識の中にあるのだと思う。そして、自分自身の思いや不安に対し避けたいと思う気持ちもまたとらわれとして潜在意識に刻まれる。
 深い思いはなくても、車椅子の生活に対応できる家ということで設計をすすめていくうちに、実際に車椅子の生活を想定することになり、だんだんビジョンが鮮明になってくる。
 実現するかどうか解らないこと、あるいは現実には起こって欲しくないと思っている将来の姿に対し、万一そうなったことを想定して準備すると、起こってほしくないと思っている将来を自分で招いてしまうことになりかねない。
 バリアフリーとは、言葉を変えれば老人にとって優しい住まいということだと思う。そして老人にとって優しい住まいをつくるということは、老人がいつまでも健康で生き甲斐をもって生活できる環境をつくるということと私は捉えている。
 今のバリアフリーは、段差のない床、手すり、介添え可能なトイレ、すべらないフラットの浴室、浴槽の高さの配慮、その根底には車椅子の生活に対応できる家ということになる。
 もちろん車椅子の生活となれば玄関、廊下、部屋の出入り口等も考えあわせなくてはならない。さらには、階段のリフトや寝室のベッドから浴室などへの移動リフトまで提案されている。
 しかしながら、段差の問題にしても、床の段差で躓くという老人にとっては、むしろ歩ける老人であるならば、はっきりとした段差があった方が危険信号となって躓かないで済むなどということは言えないだろうか。
 段差のことを気にするのであれば、むしろ床の材質を考えた方がいい。段差のない床で、フローリングから畳といった、摩擦係数の違う仕上げになっていると年寄りでなくても躓くものである。
 手すりにしてもリフトにしても心配なら本当に必要な時に取り付けられる様、下地をつくっておけさえすれば良い。
 廊下の幅が気になるなら廊下なんてつくらなければいいという発想だってある。そして老人に優しい住まいをつくるためには車椅子対応より、もっとやらなければいけない重要なことがあるはずである。
 老人に限ったことではないがクーラーは健康に良くない。自然の風で涼を得れる住まいでありたい。そのためには室内の風通し、そして壁の中や小屋裏に熱気がこもらないように抜く、夕方から朝方にかけての外気の涼しさが採り入れられるような家づくりが必要になる。
 もちろん、冬は暖かい部屋と寒い部屋が同居しないような家。暖かすぎない家。室内にさしこむ太陽熱のような自然の暖かさに家全体がなるようなそんな家であって欲しい。
 そして最も重要なことは家族が老人に対し、生き甲斐をもった生活ができるよう、精神的なサポートをしていくことだと思う。
 人は、死ぬまで成長していかなければいけないと思う。そのためには年をとればとるほど、家族の人間関係も大切だけれど社会とつながりをもち続けることが大切だと思う。
 どうせ若い者にはわからんだの、住み難い世の中になったと愚痴をこぼし、自分の若かりし時代を懐かしんでいても何もはじまらない。
 自分の人生の終焉をその瞬間までどう燃焼させられるか、そうした生き方が次の世代のこころの中に確実に受け継がれていくに違いない。

2階キッチンから見通せる薪ストーブのある居間。
手前は陶芸家手作りのボウルが入ったパーティーシンク。

 

1階掘炬燵を中心にした居間より手入れの行き届いた庭がみえます。